死んだらどうなる?
生きるものは、必ず滅する。
わたしの年になると、リアルに死する事を考えている。
実年齢(68歳)見掛けは(60歳)サバ読んでます。
でも気だけは若くいようと思っていますが・・・・
パソコンだって若い人には叶わないまでも、
サクサク?本当はやっとこ、操作しています。
近頃本気で『死』について考えます。
死んだら一体どうなるの?
この質問に答えられる人は、しかも正確に・・・
応えられる人は、この世に何人いるのでしょう。
死語の世界なんて唱える人は、何人かいるのでしょうが。
その答えって本当なのでしょうか?
果たしてその答えは、想像概念の世界なのではないでしょうか。
果たしてその方は、死んだことが無いのでは?
哲学的や、仏教的に説教する高名な僧侶の方も、
死んだ事ってないのですよね。
多くの人は、「死んだら何も可もお終い」
そう考えているのですが、その「お終い」と言う言葉、
これも良く理解できないところですよね。
もっと理解し難い事は、寿命と言う言葉です。
じゅみょうって、どうして寿命と言う字を当てられたのでしょうか?
単純に解説すれば、「めでたい命」と、解釈できますよね。
少し理屈ポイのは、お許し願って・・・これどう解釈したら良いのか。
わたしは、ただダラダラと勝手に生きて来て、68年間が過ぎました。
振り返ってみて、欲目にも良い人生とは言えない気がします。
がぁ!!決して不幸な人生とは思っていません。
若いころは勝手気ままに生き、女性とも適当に遊び・・・捨てて逃げたり。
本当に我儘勝手放題で、その頃自分が年を取るなんて、夢にも思わなかった・
お金なんて何とかなる!ちょっと優しい言葉で女性を口説けば、
ポケットマネーには不自由しなかったので、遊びまくっていました。
でもそのツケを、この頃感じずにはいられません。
原因結果の法則は、正しいのです。
これははっきり言えますよ。今その結果に悩まされている現状。
「エェィ!すべては自己責任だ!!」
そう思って諦め乍らも、メゲずに頑張って生きているのです。
若いころは誰でも先の事なんか、考えずに欲求のまま遊び楽しむものです。
年を経て躰も弱ったら、もう過去の栄光?なんて、言葉は悪いですが、
「屁の突っ張り』にもなりません。総・・詮無い事なのです。
遣っとキャよかった…若いころから「善行の積み重ね」
でもこんな言葉も有るのです。「思った時が吉日」
「もう10年若かったらなぁ」そんな事考えた事ありませんか?
でもそんなこと考えるより。前向きに生きなきゃ「思った時が吉日」
わたしはそんな風に考えて、楽しみながら前向きに生きる事にします。
死を迎える時、めでたいと思える「寿命」にしたいと。
また続く