syareoyajiの日記

言い出したら止まらない!貧乏親父があれこれ書き放題の日記

常識!は非常識なのですか?

前回のブログ記事で、わたしたちの考えている常識って、

本当は何なのでしょうか?

そんな意味の事を書きましたが、その続きを今日は書いてみます。

わたしも、このブログを通じて、書くことに、聊か慣れてきました。

と、同時に考え方にも変化が生じて、物事へのとらえ方も、

変わってきたようにおもえるのです。

常識って、決まりきったことで、判断の基本なのでしょうか。

非常識って言うのは、本当に間違った判断の事を総じて言うのでしょうか?

多数意見は常識で、少数意見は非常識と言う定義?なのでしょうか。

きままに日々を生き、何も考えず・・・って、なにかは考えているが、

惰性に流れる生活も、非常識なのでしょうか。

そう!『人間は 考える 葦である』って、確かパスカルの言葉でしたか。

定かな記憶ではありませんが、考えながら生活していかなければ、

人は生きる事を、いや、人に迷惑かけずに生き、生活継続はできません。

他人に迷惑をかけ生きるのは、非常識だと思いますが、

そう上手く、人だって自分の生活を、犠牲にしてまで面倒を見てくれません。

これって、完璧に世の中の、常識ですよね。

その事に逆らって、人に頼り切って生きるのは、非常識だと思います。

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「お前・・・本当は何が言いたいの?ちっともわけわかんないジャン!」

自分でも何言ってんだ、ナンチャッテ思っているのですが。

世界旅行した人の話で、各国をまわってみて、「カルチャーショックを受けた!」

と言うことを聞いたのです。

日本では明らかに常識でも、外国によっては非常識って言うことがある。

この定義って、存外難しいのです。

ちょっと違う比較ですが、

自由って、何でもかんでも自分のやりたい放題! なんて考える人いますよね。

でも美本は一応、法事国家と言う事になっていますので、

何をやってもよいと言うことではありません。

自由って野放しではないのです。 決まり(法律とか)があって、

その決まりの枠から、はみ出さなければ、よいという事なのですよね。

常識もこの法律の枠と似ていませんか?

と言う事は、常識も非常識も、その堺には必ず枠があり、枠って幅がある。

法の基に、裁判をすると言う事は、事の良し悪し判断には、堺がある!

って事に成りませんか? そう、枠が、あるのだと思うのです。

常識非常識も、法に則って決められる事なのでしょうが、

そこに必ず枠がある、つまり「グレーゾーン」なのです。

「グレーゾーン」の良し悪しを決めるのが、裁判で弁護士と、検察が

対決するのでしょう。

常識非常識が、裁判の話まで発展しましたが、これわたしの悪い癖です。

物事を話すとき、事の芯がブレて、とんでもない方向へ独り歩きする。

またこの続き 次回に書いてみたいのですが、 面白くないでした?

もっと話の芯ブレないように、考えながら記事掲載しましょう。

      これって、ブログの常識? きっとそうですよね。

十分に気を付け、あなたを怒らせないうちに、お読みいただいて、

            感謝!!

 

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